ヒーリングについて

光のノスタルジア

もう何年もヒーリングに関わってきていますが、
『ヒーリング』という言葉を聞くと思い浮かぶシーンがあります。

それは、『光のノスタルジア』という南米ドキュメンタリー映画のワンシーン。

女性が施術ベッドに横たわり、フェイスケアを受けているシーンです。

ビックバンと宇宙の誕生からはじまるその映画は、
大宇宙の中で地球が誕生し、水の中から、生命が生まれ進化していくシーンへと移り、その美しい大自然の映像と対比させるかのように、南米チリの独裁政権下での弾圧と出来事、今なお続く傷を撮ったもの。

そのフェイスケアを受けている女性は、果てしない宇宙から一つの星を見つけるかのように、砂漠の中から家族の遺骨を探しています。

突然連れ去られ、そして戻ることのなかった家族。

時の重み。永遠に失われてしまったもの。とりかえしのつかない悲しさ。生きるということ…

そんな背景を背負った女性は、静かにフェイスケアを受けているのです。
施術している女性にとっては、なにげない仕事のひと場面だったかもしれません。
ですが、砂漠の中を探し続ける女性に、言葉なくただ寄り添うように映し出されたその姿は、とても神聖で美しく見えました。

信じて、静かにその人が癒えていくのを待つ…

ヒーリングとは、傷を受け入れ許すということ。
許すことができるように、周りのエネルギーを整えるということ。
許すことができたときに癒しが起こります。
たった数回の施術で気づきが起き癒されることもあれば、何年もの時間を必要とする場合もあります。

果たして自分は、あの女性のような神聖さと静かな美しさを持ってヒーリングをしているのだろうか…?
信じているだろうか…?

ブレそうになった時、“いかん、いかん。あのシーン、あのシーン”と意識しているほど、とても心に残ったあの姿。あの映画を観てから、ヒーリングに対する自分の軸が太くなった気がします。